何かについて『考える』

考えるということ、それはとても大切なこと。
人は考えることが出来る動物、なら考えるべきである。
ということでその場で思いついたことをとりあえず『考えて』みるコーナー。
ただの戯言だったりコラム風だったり形式はこだわらない。
ここでは『考える』ことが主眼であり目的、故に考えて導き出された結論の正否についても一切問題にしない。
まずは『考える』こと。それだけが目的であり他は目的ではないのであるから。
とここまでがテンプレート。
ようはなんかで頭を使ってみようって話。
とここもテンプレート。

記念すべき第1回(2回があるかはわかりません)のテーマは『考える』ことについて考える。

人の体は複雑である。
しかしとても単純である。
筋肉は使えば鍛えられ、頭も使えば鍛えられる。
頭を使う、考える、それはどんなことだろう?
『考える』ということ、それは必ずしも結論を出すこととは限らない、と私は『考える』
なぜなら答えを導く過程で既に人は頭を使い、『考え』ている。
『考える』ということ、それが何故重要なのか。
考えないことがとても危険で愚かしいことだと『考える』からだ。
考えないことが何故危険か、一つ例を挙げてみる。
ある問題があったとする。その問題が何かはわからない。
その問題が何かを『考える』ことを放棄したとしよう。
もしその問題が車が近付いているだったとしたら?
場合によっては撥ねられて命を落とすかもしれない。
この例は極端ではあるが、車が来たと『考える』だけで我々は幾つもの危険を回避するすべを同時に『考えて』いる。
考えるということは危険を回避することも出来るのだ。
もう一つ例を挙げてみよう。
昔、ある生徒がこんなことを言った。
「数学なんて実生活で使わないじゃん。何の為に勉強するの?」
生徒の質問である実生活で数学を使わない、というのは確かである。
もちろん専門的な仕事をやっていれば必要になることもあるが、普通の暮らしでは算数があれば十分である。
しかし数学教師はこう答えた。
「騙されない為に学ぶんだ。」と。
数学と騙されないこと、一体何の関係があるのだろうか。答えはこうだ。
数学とはすなわち『考える』ことだ。
物事を論理的思考で『考える』事こそ数学の真髄であるとも言える。
なぜこうなるのか、どうしたらこうなるのか……
この考え方は何も因数分解微積分にしか使わないわけではない。
騙されない為、というのは相手の言っていることを鵜呑みにせず、『考える』ことでそれが正しいかどうかを確かめることを可能にするということだ。
ただ、冒頭に上げたように必ずしも結論を出す必要は無いと私は『考えて』いる。
『考える』ということは意識を変えるということにも繋がると『考える』からだ。
例えば今自分の周りに起きている様々な出来事、例えば日本の政治についてでもいい。
それについて結論を出そうとすれば、それを可能なだけの知識が無ければ『考える』事すら出来ない。
しかし結論を出すということにとらわれなければ『考える』という行為は可能となる。
年金問題、国民が抱える不安や悩みの一つだ。
何とかしろ、と思えどその具体的な解決策が思い浮かぶ人はそう多くないだろう。
もし思い浮かんだのなら国会議員になってそのシステムを変えることをお勧めしたい。
しかし解決策は思い浮かばなくとも『考える』ことで何が問題かがわかるかもしれない。
『考える』ことで別の方向性を見出せるかもしれない。
『考えた』ことでその問題への意識が高まるかもしれない。
そして『考え』抜いた末にいつかは結論にたどり着けるかもしれない。
何かについて『考える』こと。それはけして無駄にはならないだろうと『考える』。
なぜなら『考えた』だけそれは前に進んでいると『考える』から…